また来世で

 

 

人々が社会の歯車となっている中、今日も当たり前のように1日家にいる。勝手に学校すら辞めておいて何だって言われるかもしれないけど、周りに置いていかれているのが私は本当に悲しい。夜中にベッドでうずくまって、自分はどうしてこんなにも出来ない子なんだろうと考えているときが一番つらい。

 

 

 

Twitterでバズった自分と同じ病気のメンヘラが死ぬほど叩かれていた。自分の方が不幸だと思うことの何が悪いわけ?誰だって他人と比べているに決まってる。少なくとも私はそうすることでしか生きられない。弱者はどこまでも虐げられるんだな。私はまともな家庭で育っていない。あなたは一身に愛を受けていた。その差は事実じゃないか。

 

 

 

自分の中から大切な何かが抜け落ちてしまった今は只のぬけがらでしかない。夜に父親が荒らした机の上を、朝に母が見てヒステリーを起こすから、私が朝方に全て片付ける。母親が夕飯を作らないのを仕事から帰ってきた父が見ては激怒するから、私がごはんを作る。崩壊寸前のギリギリだとしてもなんとか「家庭」を取り繕うために、私は確かに必要な犠牲なのだ。それを今さら苦とは感じていない、むしろ、そのために生まれたのだとさえ思う。

 

 

 

自殺する理由なら山ほどあるし、タイミングだって今まで沢山あったのに、どうしてまだ死ぬことすら出来ていないんだろう。数えきれないくらい罪を重ねて生活を続ける意味は何なんだろう。心と言うよりかは胃の中に、ぽっかり穴が空いていて、その奥には虚しさと寂しさで作られたブラックホールがあって、次々そこに吸い込まれていくような感覚で過食を重ねた。食べたからって何一つ満たされない。泣きながら食べる食物はまるで味のない粘土を噛んでいるようで、余計に死にたくなる。

 

 

 

昔好きだった人、いま好きな人、前は仲が良かった友達、みんなが私のことなんかちっとも覚えていない風に生活しているのを見るたびボロボロ泣けるんだよ。あなたが好きな人としか会わない事も、私のことなんか好きじゃないことも、最初から分かっていた。好きだった感情は死滅しない、執着だけがずっと積る。あの手この手で連絡をとろうとする自分が惨めでならない。連絡できる手段を自分から切ったくせに泣くな。忘れろ、思い出すな、愛していない。うまれてこなかったらよかったのに。死んでしまえれば良かったのに。一番かなしいあのときに