今日も1日

 

 

 

死にたい→死ぬわけにはいかない→幸せになれるなら生きたい→もう死ぬしか→どうせ死ぬなら遊び狂う→堅実に生きたい→はい死んだ今死にました→死んでたまるか→おまえら全員殺す→私が死ねばいいんや→世間様ありがとうございました→産まれてきてごめんなさい→死ねやまじでクソ社会が→死にたいの繰り返しですね。とにかく触れるものすべてを傷付けたい気分すぎて朝から洗濯機のピピッ!ピピッ!にブチキレ。ほとほと嫌になる。

 

 

 

19回目の夏を迎えて、大人になるということの本質は諦めなのかもしれないと少し感じた。本物の子供だった頃に戻りたい。真実の愛は宇宙のように広がり続け、そこに理由などないと信じて疑わなかった無邪気な残酷さ。あれを失ってからの私の毎日は、人生は、どんだけ悲しいか誰にも分からないだろうし他人に理解されてたまるかっておもう。漠然と「誰か分かって」なんて泣き叫んでいた幼い私はもう死んだ。

 

 

 

そもそも自己の品定めを他人にやらせるなんて怠惰だ。人様に認められないからってナルシズムごと放棄してんじゃねーよ。私はマトモ私は素晴らしいって百回以上わめいてきたけど、1回たりとも心からそう言えた事なんて、ほんとうに、ただの一度もなくて、己に言い聞かせると共に周りから見下されない為の予防線だった。まるっきり嘘だとしても。1つしか持たないから寂しいに決まってるんだから、幸せになりたいならきちんと働いて恋愛して友達もいて趣味たくさんを持てばいい。そうすればどれかが駄目になった事で死んだりなんかしない。執着しないのではなく、その膨大な執着心を分散させればいい。逃げられないのではなく逃げ道を作っていないだけ。

 

 

 

だれもおまえを愛さないのだから、おまえが自身を愛するしかない。